東京地方裁判所 昭和30年(ワ)4855号 判決 1960年5月27日
原告 菊名食品株式会社
被告 国
訴訟代理人 河津圭一 外二名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
第一、請求の趣旨及び原因
原告訴訟代理人は、「被告は、原告に対して金二〇四、四八三円及びこれに対する昭和三〇年七月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求め、請求原因として次のとおり述べた。
(一) 神奈川税務署係員は、昭和二七年七月八日原告方において、原告の代表者である居関稔個人に対する昭和二五年度所得税の滞納処分として、氷三貫目入冷蔵庫一個(以下本件物件という。)時価約一八、〇〇〇円相当を差押え、即日搬出した上、昭和二八年五月一一日に至るまでこれを返還しなかつた。
(二) しかしながら、本件物件は、原告が昭和二六年一二月一日居関稔から買い受けて所有権を取得し、同日その引渡を受けて爾来原告の製パン業のため使用していたものである。
右差押に際して、居関稔の妻いと子は、本件物件が原告の所有で営業上必要である旨申し出たが、前記係員はこれに耳を籍さず、ついで、原告が、昭和二七年七月一二日神奈川税務署長に対して、内容証明郵便をもつて右の旨を説明して異議の申立をしたにもかかわらず、同署長は、約四ケ月間もこれを放置した上、同年一一月一八日右申立を棄却する旨の決定をした。そこで、原告は、やむをえず昭和二八年四月本件物件につき第三者異議の訴を提起したところ、右署長は、同年五月一一日ようやく本件物件が原告の所有であるこを認めて、前記差押を解除し、本件物件を原告に返還した。
(三) 以上述べたように、前記係員が本件物件を差押え、かつ、これを長期間継続して領置したことは、被告の公務員たる前記神奈川税務署係員の職権濫用による不当執行にほかならないから、被告は、右不法行為によつて原告の蒙つたところの損害について、国実賠償法第一条に基く賠償義務がある。
(四) 原告は、従来居関稔が個人で営んでいた製パン及び製麺業をそのまま承継して、昭和二六年一一月二二日設立された会社であり、同年一二月一日から営業を開始したが、その後新たな設備を加え販路の拡張に努めた結果、個人事業時代の苦境を脱して、急速に売上を増加しつつあるものであつた。そして、元来冷蔵庫は、製パン業にとつて、イーストを低温に保存し、それによつてパンを均質に製造する上に必要不可欠の物件であるところ、原告は、最も冷蔵庫を必要とする夏期七月に本件物件を搬出されたため、そのパン製品はたちまち粗悪化し、その結果、売れ残り返品が続出して得意先を次々に失い、ついに昭和二七年一一月未日をもつてその製パン部門の業務を停止するのやむなきに至つた。
本件物件が搬出された日の翌日である同年七月九日から同年一月末日までの間において、前記不当執行がなかつたならば原告においてうべかりし利益は、少くとも金二〇四、四八三円に達するがその計算方法は次のとおりである。
(イ) まず、昭和二六年六月における居関個人のパン売上高を基準として同年七月から一二月までの各月の居関個人及び原告のパン売上高の比率を求めると別表(一)のとおりである。
(ロ) 次に、これによつてえた各月の比率を昭和二七年六月の原告のパン売上高に乗ずると、同年七月から一二月までの各月の原告の売上予想額(すなわち、原告が本件物件を引き続き使用していたならば実現したであろう売上見込額)が算出されるので、これと右各月の実際のパン売上高との差額を求めると、別表(二)のとおり合計金二、〇四四、八三三円となる。
(ハ) 結局右金額が、原告の昭和二七年七月九日から同年一二月末日までのうべかりし売上高となるが、これに要する諸費用を控除してその純利益は最低一割と見積ることができる。
(五) よつて原告は被告に対して、右損害額金二〇四、四八三円とこれに対する本訴状送達の翌月である昭和三〇年七月二二日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(六) なお、前記損害の発生については、原告に過失はない。
すなわち、原告は、当然近々のうちに本件物件が返還されると信じていたことと財政上余裕がなかつたことの理由で、本件物件に代わるべき冷蔵庫を購入しなかつたのであるが、急造の地下壕あるいは木箱に氷を入れてこれにイーストを保管したり、あるいは、真夏には一日数回にわけてイーストを仕入れたりする等損害を最小限にくいとめようと努力したけれども、なお製品の粗悪化を免れることができなかつたものである。
第二、答弁
被告指定代理人は、主文と同旨の判決を求め、答弁として次のとおり述べた
(一) 原告の請求原因第一項中、差押の場所及び本件物件の時価は争うが、その事実は認める。
同第二項中、原告主張のような異議申立、同棄却決定、第三者異議の訴及び差押の解除があつたことは認めるが、その余の事実は争う。
同第三項は争う。
同第四項中、原告がその主張のような経緯で設立され営業を開始したことは認めるが、その余の事実は争う。
(二) (本件物件は、原告の所有ではない。)
本件物件は、居関稔の所有であつて、原告の所有ではない。もつとも、神奈川税務署長の昭和二八年五月一一日付本件差押解除通知書中には、解除理由として本件物件が原告の財産である旨の記載があるが、これは、原告が同年四月一四日東京地方裁判所に東京国税局長を被告として本件物件につき第三者異議の訴を提起したので、神奈川税務署長としては、中古品で見積価格二、八〇〇円程度である本件物件について訴訟を継続する煩を避けるため、一応本件差押を解除することとし、その形式を整えるため原告財産と記載したものにすぎず、同署長が本件物件につき原告の所有権を確認した趣旨ではない。
(一) (本件差押は違法ではない。)
有体動産の滞納処分については、旧国税徴収法第二二条に「動産及ビ有価証券ノ差押ハ収税官吏占有シテコレヲナス」と規定されるだけで、民事訴訟法第五六六条のような規定は存しないが、滞納処分においても、実際の執行に当つて、収税官吏が有体動産の所有権等の帰属を実質的に調査することは極めて困難であるばかりでなく、これを収税官吏に強いることは執行を逡巡させ、滞納処分の迅速性を著しく阻害する結果になるから、私法上の強制執行の場合と同様、収税官吏は、有体動産の事実的支配関係(占有)を調査し、一応滞納者の所有権を推定させる徴表たる占有さえあれば、これを滞納者の所有財産として差押えても、何ら違法でないと解すべきである。
従つて、本件においては、仮に本件物件が原告の所有であるとしても、神奈川税務署係員が、居関稔に対する滞納処分として、昭和二七年七月八日同人の自宅は臨み、同人の妻いと子立会の上、同人の住居に存在し、かつ、その占有にあつたところの本件物件を差押えたのであるから、これについて何ら違法は存しない。
(四) (本件差押につき故意過失がない。)
本件物件が原告の所有であるとしても、本件差押に際しては、すでに述べたとおり、滞納者居関稔が本件物件を現に占有使用していたばかりでなく、立会人の妻いと子も本件物件が居関稔の所有であると認めていたのであるから、前記係員が本件物件を居関個人の所有であると確信したことはもとより当然であつて、この点に何ら過失は存しない。
また、その後昭和二七年七月一二日原告から本件物件が原告の所有であることを理由に再調査の請求があつたが、その際原告が提出した証拠資料(財産目録)によつても、また、神奈川税務署の再三にわたる調査によつても、本件物件が原告の所有であることを認めるに十分ではなく、結局本件差押解除に至るまで本件物件が原告の所有であることを認めるに足りる証拠資料は提出されなかつたのであるから、同署係員が、本件差押当時の事情及び居関稔が原告の代表者であること等の事実を綜合して、いぜん本件物件を居関個人の所有であると信じて差押を継続したことは、まことにもつともなことであつて、この点についても何ら過失が存しない。
(五) (本件差押と原告の損害との間には相当因果関係がない。)
冷蔵庫は、気温の高い場合におけるイーストの保存上便宜のものではあるが、直ちにパン製造上必要不可欠のものとはいえず、他の方法をもつて容易にこれに代替させうるものである。従つて、原告がイーストにつき保存上通常の注意を用いていたとすれば、その不良化ということは考えられないところであり、原告がその主張のような損害を蒙つたとしても、本件物件の差押に起因するものではなく、むしろ原告のパン製造上の技術的不手際あるいは営業上の誤算等の事情によるものと考えることが相当である。
また、そもそも原告主張のように冷蔵庫があくまで必要品であるとするならば、原告としては当時その必要程度に応じた代替品を購入することによつて、損害を右購入価格以内にとどめえたはずであるから、その価格をはるかに超える本件請求額はそれ自体失当といわなければならない。
(六) 以上のとおりであるから、いずれの点からしても、原告の本訴請求は理由がない。
第三、証拠関係<省略>
理由
神奈川税務署係員が、居関稔に対する滞納処分として、昭和二七年七月八日、本件物件を差押えて搬出したこと、原告が、同月一二日右税務署長に対して、本件物件が原告の所有であることを理由に異議の申立をしたのに対して、右署長が、同年一一月一八日右申立を棄却する旨の決定をしたこと及び原告が、昭和二八年四月本件物件につき第三者異議の訴を提起したところ、右署長が、同年五月一一日本件差押を解除して本件物件を返還した(但し、その相手方については争いがある。)ことは、いずれも当事者間に争いがない。
そして、原告代表者本人尋問の結果により真正に作成された原告の帳簿と認むべき甲第五、六号証と右尋問の結果によれば、本件物件は、もと居関稔の所有であつたが、同人の事業が原告に引き継がれるに際して、その所有権も原告に移転されたものであるが、その管理及びこれに貯蔵するイーストの盗難防止のために、原告の工場とは直線で一〇〇米ほど隔つた、原告代表者の居関稔個人(同人が原告の代表者であることは争いがない。)の自宅台所に置かれていたことが認められ、この認定を動かすに足りる証拠はない。従つて、神奈川税務署係員は、居関個人に対する滞納処分として、同人の占有下にはあつたが、原告の所有する本件物件を差押えたことになるから、これによつて、原告の権利を侵害したものといわなければならない。
そこで、右権利侵害について、右係員に不法行為の責任が成立するかどうかについて判断する。成立に争いのない甲第一、二号証及び第七号証、証人新床馨、同米岡正友、同藤森譲及び同大谷津三男の各証言を綜合すると、神奈川税務署員は、昭和二七年七月八日居関稔の自宅において、同人の妻いと子の立会をえて本件物件その他の動産に対する差押に着手したのであるが、本件物件が原告の所有である点については、居関いと子から何らの申出がなかつたので、本件物件を搬出するためトラツクに積み込んだところ、居関稔が後れてその場に来り、はじめて本件物件が原告の所有である旨を告げて搬出に抗議したので、右係員は、直ちに居関稔にその証拠資料を提出することを求め、かつ、同人とともに原告の工場へ赴いたが、結局同人からは本件物件が原告の所有であることを示すべき何らの資料が提出されなかつたので、居関稔個人の所有と認め、そのまま本件物件を搬出したこと、ところが、同月一二日神奈川税務署長に到達した原告の内容証明郵便に原告の財産目録の写が添付され、その記載中に本件物件と認められる物件があつたので、右署長は、係員の米岡正友を三回にわたり原告方に派遣して本件物件が原告の所有に属するものかどうかを調査させたところ、同係員は、原告の財産目録中に本件冷蔵庫の記載があることを認めたが、他に右記載の事実を裏付ける資料がなく、右目録の信憑力について納得することができなかつたため、上司に対し、本件物件が原告の所有とは認められない旨の報告をなし、また、他の調査によつても本件物件が原告の所有であることを確認できる資料がなかつたので、右署長は本件物件が原告の所有とは認められないことを理由に原告の異議申立を棄却するに至つたことが認められる。原告代表者本人尋問中右認定に反する部分は信用することができないし、他にこれを左右するに足りる証拠はない。およそ、滞納者の占有する動産に対して滞納処分が執行された場合、滞納者あるいは第三者から右動産が第三者の所有である旨の申出がされたとしても、右動産については滞納者の所有権が推定されるものであるから、右申出があつたからといつて、直ちに収税係員がその真偽を調査すべき義務を負うものではなく、従つて、申出者においてその申出にそう証拠資料を提出しないようなときは、他に特別の事情がない限り、右執行について収税係員に過失があるものと推断すべきではない。本件差押執行については、前記搬出当時本件物件が原告の所有であることの資料が提出されなかつたことは、前記認定のとおりであり、また、本件記録に現われたすべての証拠によつても、前記差押当時本件物件が原告の営業用に使用されていたことを現認できる状況にあつたものと認めることができないから、結局本件物件搬出の段階においては、前記係員が本件物件を居関稔個人の所有であると信じたことについては、何ら過失のないものといわなければならない。そして、その後原告の異議申立があつたのであるが、前記認定のように米岡係員が原告の財産目録を調査してその中に本件物件の記載を認めたことによつて、一応原告の申立を裏付ける資料が提出されたことになつたものとしても、右目録が、本件物件の搬出当時には提出されなかつた書面であり、他にその信憑性を補う資料のなかつたことや、居関稔が原告の代表者であることから考えても、米岡係員が、右目録の記載に納得せず、これをもつてしてもなお本件物件が原告所有であることを認めなかつたことは、むしろ無理からぬことというべきであり、右異議申立以外に、原告において本件物件が原告の所有であることを証明する資料を積極的に提出した証拠が全く存しないのであるから、米岡係員の報告に基いて神奈川税務署長が右異議申立を棄却し、その後もなお本件物件の差押を継続したことは当然であつて、その間本件物件が原告所有であることを知らなかつたことにつき右税務署係員に過失があつたことを推認するに由ないものといわなければならない。
もつとも、右署長が昭和二八年五月一一日本件物件に対する差押を解除したことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第三号証によれば、右署長の同日付差押解除通知書中には、本件物件は原告財産につき差押を解除するとの趣旨の記載があることが認められ、これによれば、右署長は本件物件の所有権の所在につき原告の主張を認めたもののように考えられないではないけれども、前記証人新庄馨及び大谷津三郎の各証言と成立に争いのない乙第二号証によれ、同年四月原告が本件物件につき第三者異議の訴を提起したので、右署長は、東京国税局担当官と協議した結果、中古品で見積価格金二、八〇〇円程度の本件物件のため訴訟上これを争う程の実益がないということで便宜これに対する差押を解除することとし、ただその形式を整えるために、右のような記載をしたに過ぎないことが認められるから、右記載をすることが適切であつたかどうかは別論として、前記甲第三号証の存在及び当事者間に争いのない右差押解除の事実をもつてしては、右署長が本件物件が原告所有であることを認めたものであり、かつ従前原告の所有を認めなかつたことについて過失があつたものと推認すべきものとはなし難い。
以上のとおり、本件については、不法行為の要件である神奈川税務署係員の故意過失の立証がないから、その余の判断をするまでもなく、原告の請求は失当としてこれを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 野本泰 町田健次 橋本攻)
別表(一)(二)<省略>